2007年08月31日
ウイスキーに携わる人々(4)
(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。密造酒と知りながら飲んだ、ジョージ四世は素晴らしい。
スコッチ・ウイスキーの歴史の中では税に触れる事が多いです。我々が持っている蒸留に関連する記録で一番古いのは1494年のものです。当時の納税記録に入っていました。
つまり、スコッチの歴史の中にスコッチに対する課税の歴史が含んでいるわけです。
1823年では非常に混乱な状態になっていました。スコットランドではおよそ1万4千の不法な醸造所が運営していたと思われています。
組織性が非常に高くなりました。しかも残忍でした。 人が殺されたり打ちのめされたりしており深刻な問題になりました。
治安判事の役割を果たしていた地主階級は密輸業者にわずかな罰金しか科していませんでした。
なぜかと言うと、例えばその密輸業者が治安判事の借地人だった場合、密輸から得た収入で地代が遅れずに払える、またはより高い地代が払えました。
つまり、自分の利害を守る為に地主階級は密輸に対して見て見ぬふりをしていました。
1822年にジョージ四世がエディンバラに訪問しました。世によく知られたこの訪問は当時のマスコミによってよく記録されました。 その際ジョージ四世は不法に作られた事を知っていながらグレンリベットウイスキーを頼みました。
当時グレンリベット・ウイスキーは一番質の高いウイスキーだと思われていました。ジョージ四世がこれを頼んだ事により当時の政府は面目を大きく失いました。
そこで、グレンリベット地方の土地を全部持っていたグロートン公爵を議長として王立委員会が確立されました。 そして、これこよって1823年に免許料を減らす法律が導入されました。
これに対応して密輸に対する罰金は増やされました。
従って、今まで副業として蒸留していた農民にとって本格的に蒸留した方がいいという状況になりました。1823年に導入された法律はスコッチの歴史の中で画期的なものだった訳です。
そして現在のスコッチ業界はこれにより生まれました。この様にスコッチはスコットランドの歴史と密接な関係がありスコットランド人の精紳の一部です。
注 意 : この内容の無断使用は出来ません。
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2007年08月30日
ポートエレン / フライ
スコットランドは『フライフィッシングの聖地』と呼ばれています。
フライフィッシングは昔から愛され、フライ(毛針)には一つずつ名前が付けられ、一つずつ丁寧に手作りされています。 実際の釣りにも使用しています。 幅は3~4cm程度です。
PORT ELLEN (ISLAY) CADENHEAD'S 17YEARS / 1980/1997 61.8%
アイラ島へ行くには、飛行機かフェリー(グラスゴーから朝夕各1便小型プロペラ機で1時間以内、風雨の強い日は欠航が多いので、スケジュールにゆとりを。 フェリーはKennacraig~Port Ellen、キャンベルタウンから便利です3時間ほど?)
先日、常連のお客様とホテルバーテンダーの方々が来られました。 モルトの話で盛り上がり、ラストオーダーで「珍しいポートエレンは有りませんか」と聞かれ、上記のポートエレンを久々に開けちゃいました。
最近のポートエレンは22年以上の物と価格も高く、お客様に進めにくく成って来たのが残念。

ラガブーリンとカリラそして、ポートエレンを管理していたUDグループが1983年に閉鎖。 ウイスキー不況が原因と、ポートエレンの敷地内でモルトスターを稼動していた事もあったと思います。
上記17年のポートエレンはピーティーさもしっかりしていて、私も2年ぶりに味わって、惚れ直しました。

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2007年08月29日
スプリングバンク 2 / フライ
スコットランドは『フライフィッシングの聖地』と呼ばれています。
フライフィッシングは昔から愛され、フライ(毛針)には一つずつ名前が付けられ、一つずつ丁寧に手作りされています。 実際の釣りにも使用しています。 幅は3~4cm程度です。
CHIEFTAIN'S SPRINGBANK 36Y /Refill Fino Sherry/April1969.September2005
BOTTLES 540 / 57.3% / 8/28から飲めます。 どのような香りと、味か私もドキドキ。
スプリングバンク、キャンベルタウン、そしてイーグルサム・ウイスキーショップ。 10年ほど前に行きました。 ショップでスプリングバンクのテスティンググラスとケイデンヘッツの加水ようグラスをお土産用に10セット買った事を思い出しました。 夜な夜な、近くのパブへ行き3件目で、酔った勢いもあり地元のお姉さんと踊っちゃいました。
ボトルが変わっているのに、気が付きましたか? ペーパーシートからゴールデンプレートに変わっています。(専用デキャンター?)

マスターのテイスティング
フィノシェリー樽の影響による、香りと味のバランスがとても素晴らしい。
香りは、優しいシェリーの甘酸っぱさを感じさせ、そのままのイメージで味わえました。 更にフィニッシュでは、磯、塩、ピーティ、樽のターニンのそれぞれの味が、ハーモニーに成って優しーく、五臓六腑に浸透して入っちゃった。
今日も一日幸せ。*
2007年08月28日
スプリングバンク / フライ
スコットランドは『フライフィッシングの聖地』と呼ばれています。
フライフィッシングは昔から愛され、フライ(毛針)には一つずつ名前が付けられ、一つずつ丁寧に手作りされています。 実際の釣りにも使用しています。 幅は3~4cm程度です。
CHIEFTAIN'S SPRINGBANK 36Y /Refill Fino Sherry/April1969.September2005
BOTTLES 540 / 57.3% / 8/28から飲めます。 どのような香りと、味か私もドキドキ。
スプリングバンク、キャンベルタウン、そしてイーグルサム・ウイスキーショップ。 10年ほど前に行きました。 ショップでスプリングバンクのテスティンググラスとケイデンヘッツの加水ようグラスをお土産用に10セット買った事を思い出しました。 夜な夜な、近くのパブへ行き3件目で、酔った勢いもあり地元のお姉さんと踊っちゃいました。
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2007年08月27日
ウイスキーに携わる人々(3)
(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。密造者もなかなか知恵者ですね。
18世紀末期や19世紀初期に不法な蒸留器や不法に生産されたウイスキーを見つける為に収税吏や兵隊はスコットランドのこの辺り、つまりスペイサイドやグレンリベットに派遣されていました。
しかし当時蒸留を行っていた人はかなりずるくて使っていたものを洞窟や林にうまく隠していました。従って、収税吏はかなり苦労していました。そこで、あるアイデアを考え付きました。
不法な蒸留器や隠されたウイスキーの発見につながる情報に対して賞金を提供すればもっと成功すると思いました。 しかし、このアイデアは裏目に出てしまいました。
蒸留を行っていた人が使用していた小さな蒸留器がぼろぼろになり交換しないといけない状態になった時に、収税吏にそのぼろぼろの蒸留器の場所を仲間に伝えさせ、賞金を葺い受けて回収し、その仲間に少し分け与え、残りの分で近所の銅細工師にぴかぴかの新しい蒸留器を作ってもらいました。そして、2,3週間以内に生産能力を復活させました。
兵隊等を避けて、スコットランド高地の裏道を子馬で暴れ回るイメージは私の心にある無秩序な部分に訴えます。スコットランド人は自分のウイスキーをもらう権利をずっと信じていました。ロバート・バーンズは「自由にウイスキーは付き物である」と書きました。
【昔のスコットランドの言葉で書いてある詩】
’これは「ある作家のスコットランドの国会議員に対する心からの叫びとお願い」という素晴らしい詩に出てくる言葉です。この詩は民間の蒸留が禁止された事に対する反論です。
いろいろと愛国心が組み込まれており、スコットランドの国会議員に対して「立ち上がってこの対策に反対してくれ!」というメッセージを伝えるものです。
間違いなくロバート・バーンズはウイスキーが大好きでした。実は暫くの間彼は収税吏として勤めていました。つまり、密猟者が猟場番人になったわけです。
彼は共和主義の支持者だったし、愛国心もあったし、彼の詩では物品税を批判するものは多かったです。
物品税は貧しい人々を苦しめていたとか、熱心に主張していました。では、どういう訳で収税吏としての雇用を求めていたかという疑問が出てきますね。
実のところ彼は非常に貧しく、小農地でのつらい作業で体の調子は崩れていたので、何らかの収入を得る為にこの仕事をしていました。
注 意 : この内容の無断使用は出来ません。
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2007年08月26日
樽職人の木彫り・店内MALT写真集10/23
樽職人の木彫り壁掛けを、数年前に南港のアンチークショップで入手。先日ふらっと行ってみると7月末に2件とも、閉店に成っており大変残念です。
Bottled for Signatory 1990年代のボトリングは、樽のデザインです。このボトラーズの特長は、樽詰め年月日、ビン詰め年月日、樽ナンバー、ボトリング本数、ボトリングナンバー、アルコール度数が今も書かれており素晴らしい。ただ加水タイプのボトリングが、2003年以降のボトリングに2樽をロットボトリングしている時が多くなったように感じられる。
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2007年08月25日
よさこい踊りとお土産


先日、アメリカ人のお客様に、よさこい踊りを踊っている坂本龍馬の人形を頂きました。(2週間ほど四国に行ってたようです)
「この人形、店に飾っとき」と言われて、有難うとうと言ったものの、何所に飾ろうか悩みました。
(頂いた物は大切にと思いつつ・・・)店にちゃんと飾っております。 何となく、なじんでおります。
彼は、タリスカ、カリラ、そして今は SMOKEHEAD (アードベック)にはまっております。
よさこい祭りとは
よさこい祭りは毎年8月9日の前夜祭を皮切りに、10・11日は鳴子踊りの本番、12日には後夜祭と よさこい全国大会 が開かれます。また13日には鏡川河畔で華麗な花火大会が開催されます。
よさこい鳴子踊りは土佐の夏の風物詩として、毎年全国から多くのよさこいファンが集まるエネルギッシュでパワフルな南国土佐の真夏のフェスティバルです。
高知市内15か所の競演場・演舞場があり、約190団体、2万人程の踊り子が、衣装や踊りに工夫を凝らし、チームを先導する地方車の装飾も華やかで、街中は祭り一色に包まれます。
鳴子(なるこ)
踊り子が手に持ちカチャカチャとリズムをとる鳴子。
鳴子を持って踊るのは、よさこいの数少ないルールのひとつ。
初めて踊る観光客の方でも鳴子を振れば自然と音楽に乗れ、おのずとよさこい踊りになってしまうから不思議。
地方車(じかたしゃ)
列を組んで踊る踊り子隊の一番前を、華やかに装飾したトラックがゆっくり進む。
車の上は、よさこいのライブステージとなっており、ギターあり、和太鼓ありのにぎやかさ。
それぞれのチームが踊りや衣装に趣向を凝らすと同様に、地方車の仕掛けや装飾にも知恵を絞る。
衣装
よさこい祭り初期当時は、浴衣とゲタの盆踊り風が主流だったが、現在はカラフルな色合いの法被が主流で、そのチームらしいデザインが様々に工夫されていて、よさこい衣装からも目が離せない。
1950年 3月 もとは座敷踊りだったが、新しく振り付け直し「よさこい踊り」に。
南国高知産業大博覧会で披露される
1954年 高知商工会議所と高知市の共催で永続性のある祭り「よさこい祭り」を8月に開催するこ
とを決定(降水確率の一番低い8月10日、11日に決定)
よさこい祭振興会発足 開催に至る
はりま家はよさこい祭りの誕生時から、なるこの制作に携わって参りました!
1954年 8月
昭和29年、当時の不景気風を吹き飛ばし、市民を元気づけようと行われたのが始まりです。
よさこいのパワーは高知より全国へ、世界へ広がっています。
関西や関東では小学校の運動会やお祭りでよさこい鳴子踊りが踊られているところもあり、北海道ではYOSAKOIソーラン祭りが生まれ、ハワイのホノルルフェスティバルへも参加しています。
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2007年08月23日
ウイスキーに携わる人々(2)
(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。密造の歴史背景が理解できます。
現在ウイスキーとして知られている物が最初に現れたのが19世紀でした。それまでのウイスキーは小作人によって小さな蒸留室で作られていました。
おそらく泥炭でかなり加工されており、よく蒸留されていませんでした。 言ってはいけないかもしれませんが、現代人に17、18世紀のウイスキーを飲ませてみたら「まずい!」と言われます。
1745年はウイスキーの進化において重大な年でした。この年に小さな蒸留室で蒸留を行うことが禁じられるようになりました。 これは半ばジンが水代わりに飲まれていたロンドンでの深刻なアルコール依存症問題を解決するためでした。 つまり、ロンドンでのジンの生産を中止するという意味はスコットランド高地でのウイスキーの生産を止めるという意味と同じくらいありました。 しかし、スコットランド高地ではこの措置が壊滅的な効果をもたらしました。 例えば、スペイサイド南部でやせた土地を耕作していた小作人は質の悪い大麦を栽培していました。 これでは豊かな土地で栽培した大麦ほど収入を得ることはできませんでした。 さあ、どうしますか。少ない収入で我慢しますか。いや、ウイスキーを作って利益を上げようかということになりますね。 このように作物の栽培を維持していました。毎年必ず入ってくる安定している収入源だったわけです。そして、突然なくなりました。これが密輸の増加につながりました。
ウイスキーの密輸は課税の対象になった頃から行われていました。初めて課税の対象になったの1644年でした。 また、国会の統一が起こった1707年から密輸は一部の人にとって政治的な意味も持つようになりました。この外国から課税を押し付ける機関に対して、スコットランド人の独立性を表現するものとなりました。 物品税の委員会はロンドンに拠点があったし、スコットランドでは主にイングランド人によって代表されていました。 それで愛国心のある人にとって、そして後でジャコバイトの人にとって、密輸というのは名誉の問題でした。
長年の課税や悪政によってウイスキーの生産は余儀なく隠れて行われていました。
私の意見では、この時期に蒸留に一番適した場所が見つかったと思います。 例えば、一番いい水源のある、町から離れた谷間が見つかりました。 多分、大麦もどこかに隠す必要があったのかもしれません。 そして、この辺りをよく監視していた収税吏から隠れてキースから密輸業者のところまで銅製単式蒸留器を運ぶ必要もありました。
注 意 : この内容の無断使用は出来ません。
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2007年08月23日
婆娑羅ロゴ・店内MALT写真集9/23
店を開業して1年後、陶芸教室一日体験で作った私の作品です。 陶芸の先生に反対されながら作りました。(初めての人はコップなどの体験をしてもらうのですが・・・)
ご紹介いただいた T,K さんにも、ご迷惑をお掛け致しました。 ですが良い思いでと、今は婆娑羅の顔の一つと成っております。
SIGNATORY VINTAGE 46% , G&M CONNOISSEURS CHOICE GLEN ELGIN 1968,GLEN KEITH 1967,CAPERDONICH 1968、など60年代がかなり少なく成って来ました。興味のある方は早い目に(安いときのプライスです)
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2007年08月22日
TARU・樽 9月号
月刊雑誌、TARU・樽 9月号が今週末、発売。 定価390円
紀伊国屋書店、 旭屋書店、 ジュンク堂書店などで販売。
先日のソーダーテイスティング内容が書いてあります。 ソーダーの奥深い世界 P20,21
立ち読み禁止! 買って読んで下さい。 
酒に関する月刊誌で、気軽に楽しめる本です。
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2007年08月22日
10周年記念と樽
現在の店は、1997.1.10 に開店。 今年1月、ささやかな10周年記念を行いました。
樽は、スコッチモルト販売から購入。
タリスカ、カスク入りで10Lホワイトオーク樽。内側はチャーをして有ります。 2002.1.10に5周年記念を行い、10周年でオリジナルの10年モルトが出来ないかと思っていたとき。
ISLAY CASK STRENGTH 5YEARS (LAGAVULIN) 58.4% に出会い 5年ものカスクを5年後に10年ものカスクとして飲めたら楽しいなと思い。 早速、樽から残りのタリスカを取り出して、2002.1.15にISLAY CASK STRENGTH 5YEARS (LAGAVULIN) 58.4% 700mle16本を樽に入れました。 2007.1.10に初めてグラスに注ぎ飲みました。5Yはほとんど透明であったのが、濃い琥珀色に変化しておりました。
LAGAVULINで眠っていた5年間、さらに婆娑羅で5年間、まさに10年物オリジナルカスクである。 香り、味もベリーグッド(自画自賛)一度飲みに来て下さい。
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2007年08月21日
ウイスキーに携わる人々(1)
(スコットランド・スペイサイド地区)ウイスキーに関わって来た人々の話です。スコッチウイスキーへの情熱が伝わってきます。まずは、ウイスキーの歴史から。
一つ一つの香りや一口がその発祥地や作った人々のことを語ります。
人の心や自分の独特なモルト・ウイスキーやブレンド・ウイスキーを作ることに対する情熱さが全てです。
スコットランドを蒸留してグラスに入れ、より広い見方もあります。スコットランド人にとってウイスキーの原点には人々がいます。
スコットランド人がウイスキーのことを語ると自分の心の事も語ることになります。ビールと違って、ワインとも違います。
モルト・ウイスキーは彼らを特別な場所に導きます。そしてウイスキーってどこから来たのか?という神秘的で不思議な発想が全てです。
友人である人がおっしやるように、ウイスキーの起源ははっきりしません。
誰が最初にスコットランドでウイスキーを作ったかは誰も知りません。
ウイスキーはスコットランドで魔法の力で始まりました。
蒸留の初期について知られていることは少ないのですが、蒸留は昔のキリスト教の修道士や宣教師によってスコットランドに導入されたということは知られています。
おそらく彼らはアイルランド、コリンセー、アイラからスコットランド本土に来ました。
修道士等が蒸留について詳しかったのは蒸留がサイエンスの部門として見なされていたからです。 そして宗教改革で廃止されるまで蒸留はほとんど修道院等で行われていました。つまり、秘密性の高い環境で行われていたわけです。 これに関わる人々の多くはウイスキーを作る為に蒸留を行っていたわけではありません。
アクアビートというものを作っていました。 そしてアクアビート、アクアビータイ、アスカバー、ウスキー、ウイスキーというふうに発音が現在使われているものに変わっていったと納得する人もいまが、意見として、これは違うようです。
蒸留を通して彼らは魔法とサイエンスの間の境目をはっきりさせていました。やはり、14、15世紀には魔法とサイエンスの間の境目は非常に薄かったです。
ウイスキーのことが書いてあるもので、一番古いのは1494年日付の「エキスチェッカー・ルール」です。
「エキスチェッカー・ルール」というのは王室用の買い物リストのようなものです。
ルネサンス時代のスコットランドの偉大なる王であるジェームズ四世からのもので「アクアビータイを作る為にモルトウイスキー8本を」と書いてあります。 しかしこれは何のために作られていたかははっきりしません。
例えば、ジェームズ王は火薬に大変興味があったのでこれを作るのにアルコール類を使っていた可能性があります。コーニングというプロセスがありました。
火薬は細かい粉末の状態より、粒状に挽かれた状態の方がより大きく爆発します。従って、水を利用してこのように火薬を粒状に挽いていました。 揮発性のあるアルコール類を使うと更に大きく爆発します。
もちろん、拝発性のあるものを使うのは難しかったです。彼はこの為に使っていたかもしれません。 当時の全ての学者と同じ様に彼は錬金術、つまり卑金属を金に変換させる事に大変興味がありました。
そして錬金術だけではなく、水、大麦、ビールの様な基礎要素から蒸留を通して神髄を出したりする事にも興味がありました。 ですから彼のアクアビータイや蒸留に対する興味は飲料作りだけではなく、色んな事に由来したかもしれません。
注 意 : この内容の無断使用は出来ません。
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2007年08月19日
MACDUFF1969/パイプ
ボトラーズ、ダンカンテイラー社Lonachシリーズ MACDUFF 1969/2007 37Y 40.6%
「ブランド名はGLEN DEVERONよってオフィシャルのボトルは、グレンデブロン」
開けたての時は、バターのようなオイリーさがあり、少し経つとフィニッシュで少しオイリーさが残る程度。とってもデリケートandセクシー。
私の、パイプ歴は30年以上。 今のパイプが7代目(1年使用中)改めて以前のパイプを観ると、その当時の時代背景が昨日のように思い出されます。女性の事が多いかな・・・(奥様)
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2007年08月18日
ビヤガーデン
お盆だ、ビヤガーデン(阪急ターミナルビル)に行こう。 前日に急遽決定。 8名での行動になりました。
20年ぶりのビヤガーデンだ~。 風も適度にあり涼しさを感じながらの、至福のひと時で暑さがふっとんだよ。
(私にとっての)美女5人衆です。 ビールは、キリン一番絞り、サントリーモルツ、サントリー黒生と焼酎ありーの、その他の飲み物も色々ありやした。 美味い生ビールを楽しんだよ。 食べ物を取りすぎて、食べるのに苦労しちゃいました。(明日からダイエットだ) 女性人は、アルコールが入るに連れ、過激な話に成っているようでした? 集合写真で1人トイレ休憩だったので、欠席写真にしました。
来年は、浴衣着で出没しようぜ。
*
2007年08月12日
白州蒸留所の設立まで
「白州蒸留所の水と森へのこだわり」
嶋谷 幸雄 氏(74才)
白州蒸留所建設に参加、初代工場長。山崎蒸留所工場長、取締役を経て、現在 洋酒技術研究会会長。
著 書 : ウイスキーシンフォニー ~琥珀色への誘い~
先日、嶋谷氏が来られ話の中で、白州蒸留所の話になり。苦労話みたいな事を聞きました。そこで後日、下記の内容の資料を頂きました。

写真、左1973年2月完成式 佐治社長 氏、嶋谷 氏
佐治敬三社長(当時)の特命を受けて、大西為雄・元山D長(故人)が第二の蒸留所の適地を求めて日本全国を駆け巡っておられた。地図と小道具を携えて各地の渓谷をさかのぼる、文学通り手探りの探検だった。その場所は、例えば祖母山麓竹田、石見大田、郡上八幡、日光戦場ヶ原、最上川などであり、私たちはその支援隊であったがすべてが極秘に進められた。候補地がいくつかに絞られ、最終的に白州町鳥原が第一候補になって私が大西氏と、ここを訪れたのは、もう37年も前のことである。
なだらかな勾配を持つ広大な森林には大きな岩がごろごろしており、こんな所に蒸留所建設かと大きな不安がよぎったのは確かだが、中を流れる水の清らかな輝きに強い衝撃を受けた。甲斐駒ヶ岳山麓を覆う樹林を徘徊し、川をさかのぼって上流を確認した。国道20号まで下り、ドライブインに入って水を請い、水筒にたくさんの水をいただいて帰った。それから私たちの本格的な試験が始まった。何回か早朝にドラム缶を積んで神宮川上流に入り採水し、水温や流水量を測定した。自然界の微生物相を調べる培地を各所に置いた。持ち帰った水の微生物検査と化学分析を進める一方でパイロットプラントでの醸造、蒸留、貯蔵の実験をくり返し、期待されるウイスキーの品質を想定した。
水は南アルプス天然水として知られるように相当な軟水で、キレの良い冴えわたった名水であり、山崎とは違ったモルトを生み出す。甲斐駒ヶ岳山麓は花岡岩層の白砂に覆われ、ここで磨かれた水は柔らかいが酒に力を与える。地下水の移動は年に数メートルと言われるから、蒸留所でくみ上げられる水は何十年も前に山に落ちた雨や雪ということになる。
蒸留所の建設は広大な土地の買収や製造免許の取得、森林の中での工事など苦労は多かったが、社内各所から覇気溢れたメンバーが集まり夜を継いで頑張ってくれたので理想的なプロジェクト活動ができたと感謝している。
この建設の第一の命題は、山崎に次ぐ第二の蒸留所として急増する原酒の需要に応えることであったが、もう一つの大きな命題を担っていた。素晴らしい森と水をどう蒸留所に調和していくかということであった。当時の工場建設の常識は、効率第一であった。しかし私たちの製品は、水も原料も育つ環境も自然の恵みに負っている。この蒸留所は大自然と調和し、森の中に蒸留所が埋まるようにしたいという佐治敬三社長の強い願いがあった。野鳥が生息できるように全敷地を鳥類保護区に指定してもらい、三万坪をバードサンクチュアリーとして建物を造らないことにした。貯蔵庫の間隔は100メートルとし、一本でも多くの樹を残すため伐ってもいい樹に印をつけた。中央の道路もS字形に曲げて森に調和させ、国道より蒸留所が見えないように工夫した。後年、白州蒸留所が環境庁長官賞を受けた式場で、小林一三翁と同郷の水上達三氏(故人、元三井物産社長・経団連理事)が私のところにおいでになり、「このような自然を大切にした美しい工場を故郷に造っていただいて、本当にうれしいです」と言われたことが思い出される。
この様な蒸留所を建設する事、その物が考えれない。膨大な費用と、採算が取れるまでの年月。
すご~いの一言。
泡盛、8/9 Aさん、さすがです。ビン熟はクエン酸と雑味成分の影響で、味の変化になると考えられます。蒸留所メーカーは、熟成と表現しています。
8月 休日のお知らせ 日曜日、13(月)、20「月」
blog、休信8/13~8/20
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嶋谷 幸雄 氏(74才)
白州蒸留所建設に参加、初代工場長。山崎蒸留所工場長、取締役を経て、現在 洋酒技術研究会会長。
著 書 : ウイスキーシンフォニー ~琥珀色への誘い~
先日、嶋谷氏が来られ話の中で、白州蒸留所の話になり。苦労話みたいな事を聞きました。そこで後日、下記の内容の資料を頂きました。
写真、左1973年2月完成式 佐治社長 氏、嶋谷 氏
佐治敬三社長(当時)の特命を受けて、大西為雄・元山D長(故人)が第二の蒸留所の適地を求めて日本全国を駆け巡っておられた。地図と小道具を携えて各地の渓谷をさかのぼる、文学通り手探りの探検だった。その場所は、例えば祖母山麓竹田、石見大田、郡上八幡、日光戦場ヶ原、最上川などであり、私たちはその支援隊であったがすべてが極秘に進められた。候補地がいくつかに絞られ、最終的に白州町鳥原が第一候補になって私が大西氏と、ここを訪れたのは、もう37年も前のことである。
なだらかな勾配を持つ広大な森林には大きな岩がごろごろしており、こんな所に蒸留所建設かと大きな不安がよぎったのは確かだが、中を流れる水の清らかな輝きに強い衝撃を受けた。甲斐駒ヶ岳山麓を覆う樹林を徘徊し、川をさかのぼって上流を確認した。国道20号まで下り、ドライブインに入って水を請い、水筒にたくさんの水をいただいて帰った。それから私たちの本格的な試験が始まった。何回か早朝にドラム缶を積んで神宮川上流に入り採水し、水温や流水量を測定した。自然界の微生物相を調べる培地を各所に置いた。持ち帰った水の微生物検査と化学分析を進める一方でパイロットプラントでの醸造、蒸留、貯蔵の実験をくり返し、期待されるウイスキーの品質を想定した。
水は南アルプス天然水として知られるように相当な軟水で、キレの良い冴えわたった名水であり、山崎とは違ったモルトを生み出す。甲斐駒ヶ岳山麓は花岡岩層の白砂に覆われ、ここで磨かれた水は柔らかいが酒に力を与える。地下水の移動は年に数メートルと言われるから、蒸留所でくみ上げられる水は何十年も前に山に落ちた雨や雪ということになる。
蒸留所の建設は広大な土地の買収や製造免許の取得、森林の中での工事など苦労は多かったが、社内各所から覇気溢れたメンバーが集まり夜を継いで頑張ってくれたので理想的なプロジェクト活動ができたと感謝している。
この建設の第一の命題は、山崎に次ぐ第二の蒸留所として急増する原酒の需要に応えることであったが、もう一つの大きな命題を担っていた。素晴らしい森と水をどう蒸留所に調和していくかということであった。当時の工場建設の常識は、効率第一であった。しかし私たちの製品は、水も原料も育つ環境も自然の恵みに負っている。この蒸留所は大自然と調和し、森の中に蒸留所が埋まるようにしたいという佐治敬三社長の強い願いがあった。野鳥が生息できるように全敷地を鳥類保護区に指定してもらい、三万坪をバードサンクチュアリーとして建物を造らないことにした。貯蔵庫の間隔は100メートルとし、一本でも多くの樹を残すため伐ってもいい樹に印をつけた。中央の道路もS字形に曲げて森に調和させ、国道より蒸留所が見えないように工夫した。後年、白州蒸留所が環境庁長官賞を受けた式場で、小林一三翁と同郷の水上達三氏(故人、元三井物産社長・経団連理事)が私のところにおいでになり、「このような自然を大切にした美しい工場を故郷に造っていただいて、本当にうれしいです」と言われたことが思い出される。
この様な蒸留所を建設する事、その物が考えれない。膨大な費用と、採算が取れるまでの年月。
すご~いの一言。
泡盛、8/9 Aさん、さすがです。ビン熟はクエン酸と雑味成分の影響で、味の変化になると考えられます。蒸留所メーカーは、熟成と表現しています。
8月 休日のお知らせ 日曜日、13(月)、20「月」
blog、休信8/13~8/20
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2007年08月11日
白州蒸留所
サントリー白州蒸留所
白州蒸留所の糖化槽(ステンレス)内部の写真と、醗酵槽は木桶である。スコットランドでは、オレゴンパイン(松科)が多い。白州は、違っています。見学された時聞いてください。次回は、ポットスチルと樽の写真を配信いたします。


白州蒸留所、ポットスチル初留釜6基、再留釜6基
タイプ、ストレートヘッド3基、ランタンヘッド3基。 加熱、 直火、スチームタイプ 写真をクリックすると、写真の説明が有ります。

ティスティングは、左上から白州12y、スモーク原酒12y、エステリ原酒12y, シェリー原酒12y 左下から、白州18y、スモーク原酒18y, エステリ原酒18y、シェリー原酒18y。それぞれ、よい特徴が出ていてこれ等により、白州10y, 12y, 18y, と素晴らしいウイスキーとして市場に出るのです。
写真、中、右は蒸留所内の展示室。 錬金術師が、中世に蒸留技術を駆使して不老長寿の水を作ろうとしていた。そこで、クア・ウァイティはブランデー、古代ケルト語でウイスゲ・ベーハー「生命の水」と呼ばれるようになり、ウイスキーへと進化していく事になる。
次回、嶋谷 幸雄 氏(初代白州蒸留所工場長)の「白州蒸留所の水と森へのこだわり」について書きます。
8月 休日のお知らせ : 日曜日、13(月),20(月)
平成19年度ウイスキーエキスパート試験 概要日 時 : 平成19年10月21日(日)
会 場 : 大阪YMCA文化センター
スコッチ文化研究所 : TEL03-5789-2690 / FAX03-5789-2691
ウイスキーコニサー資格認定試験 教本 ご希望の方は、直接上記へご連絡ください。
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2007年08月09日
泡 盛 セミナー
8月9日:日本酒類販売(株)主催で泡盛のセミナーが有りました。
原材料は、タイ米で蒸米にして黒麹菌を散布する。米麹に、水と泡盛酵母混ぜ「もろみ」にする。
2週間ほどでアルコール17~18%に成ります。次に単式蒸留器で一回蒸留を行います。
貯蔵は、ステンレスタンクと甕貯蔵があります。
古酒とは、泡盛を3年(51%以上)以上寝かせたもの。例えば10年古酒と表示するときは、100%10年以上熟成している事。
仕次(しつ)ぎ、と言う熟成技術は、四番酒ー三番酒ー二番酒ー親酒と4つの甕が有り、飲むときは、親酒の甕から出して飲む。減った分だけ二番酒から親酒、三番酒から二番酒、四番酒から三番酒最後に新酒を四番酒に入れる。一般家庭で行われている。
テイスティング、新酒は、透明でレモンの様な香り(酸味)ストレートでは辛いロック、水割りがおすすめ。 古酒はほんの少し琥珀色少し甘味の有るオレンジの香り、甘酸っぱくストレート、ロックかな。 10年古酒は更に円やかさと深みのある味、やっぱりストレートで飲んで欲しい。
新しい発見と、蒸留酒の共通点を感じました。(熟成って自然の恵みだ。)
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2007年08月09日
ST ANDREWS・店内MALT写真集8/23
先日、全英女子オープンがスコットランド ST ANDREWS OLD COURSE で開催された。(メジャー大会女子では初めての会場である)「ゴルフの聖地」と言われている。ゴルファーにとって一生に一度はプレーしたい場所です。全英女子ゴルフの結果は4日間で、宮里藍 58位+14、新人で佐伯三貴 7位+2(日本人として最高スコアー)優勝はオチョア(メキシコ)-5 で終了した。
1999年私も、ST ANDREWSに行って来ました。写真のウッドパターは現地で購入。今も、ST ANDREWSの町では、伝統的な手法でウッドパターが作られている。現在コースとして、OLD COURSE(18H)、JUBILEE COURSE(18H)、EDEN & STRATHTYRUM COURSE(18H,18H),NEW COURSE(18H) 合計5コースがある。
MACALLANブルーラベル30Y(今では大変プレミアがついています、飲むなら今のうち。)をはじめ11種類、GLENMORANGIEのシリーズも整っている。HIGHLAND PARKも新旧ボトルが揃っている。GLENROTHESのビンテージシリーズも9種類揃えている。その他・・・
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平成19年度ウイスキーエキスパート試験 概要日 時 : 平成19年10月21日(日)
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2007年08月08日
PISTOL・ 店内MALT写真集 7/23
写真、1800年代に使われていた銃のデプリカ(グリップにアザミの柄が有ったので、8年ほど前にスコットランドでつい買ってしまった。)。THE GLENLIVET のパブミラーとセットのようで、なかなか良いですよね。(創業者が護身用に持っていたPISTOLとは少し違います)。
LAPHROAIG, CAOL ILA, 花と動物シリーズ。 下の棚は、CHIEFTAIN'S, オフィシャル10y~15y色々。 LAPHROAIG 30Y は、9年前に蒸留所で直接買い付けた3本の最後の1本です。(300ポンド)たまたま行った時に初めて30年物のボトリングをした物です。
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2007年08月07日
なにわ花火大会、写真と花火製作 完結
花火も終わり、俺の夏も終わりだ。もうしと頑張り、飲んで少し食べて、店だ~!
ビールを片手に写真をあてに楽しんでください。
写真クリックしてね!
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花火の組立工程
全ての部品が完成したらいよいよ組み立て工程です。5号の牡丹玉を例に見ていきます。
1.玉殻の半分の内側に完成した星を並べていきます。片方の中央には親導が差し込まれます。
2.中央に間断紙に包んだ割火薬を詰めます。これを1ユニットとして半分づつ計2個造ります。
3.完成した半分づつを両手に持って一つに合わせます。このような製作方式を「ぱっくり法」といいます。
4.左右を一気に一つに合わせます。
5.外にハミ出した紙をはさみでカットした後、テープなどで仮止めしておきます。
6.玉貼り。合わせた玉の外側にクラフト紙等を何重にも貼り重ねていきます。
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玉貼りと乾燥(玉の日乾工程)
玉貼りは組立作業の中でも重要な工程といえるでしょう。日本の花火が丸く大きく開くためには、火薬の爆発力や形態もさることながら「張り」が重要な役割を持っています。簡単に言うと、割火薬の爆発パワーに対する玉殻の強度でしょうか。玉殻が爆発力に対して適当な抑止力となることで、かえってその反発で大きく開くというわけです。この両者のバランスで、花火が開いたときの「盆(ぼん)」の大きさや星が拡がるスピードが決定しますから重要な要素といえるわけです。また同時にこの両者の加減や尺度も花火作家ごとに違っていて、生み出す花火の個性の一部であるといえます。
この玉殻に「張り」を持たせるための工程が玉の上貼りと乾燥なのです。組上がった花火玉の上から、何枚もの紙(現在ではクラフト紙などまたはガムテープ状の糊付き用紙)を規則正しく糊貼りしていきます。この工程もまた全て手作業になります。玉の大きさによって貼り重ねる紙の枚数が決まっていますが、業者によっても違いがあります。貼ったあと床などでコロコロころがして空気を抜く作業(ゴロがけ)の後、天日に乾かす作業を何度か繰り返し、花火玉の完成です。いや花火玉の本当に完成したときは、夜空に大きく花開いた瞬間なのかもしれませんが。

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